Yutaka yokokura biodiversity

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    横倉裕

    横倉 裕(よこくら ゆたか、1956年6月26日 - )は東京都出身の歌手で、キーボーディスト、琴奏者、コンポーザー、アレンジャー、プロデューサー。YUTAKA(ユタカ)[1][2]の名前でGRPレコードと日本人として初めて契約したミュージシャンである[1]

    バイオグラフィ

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    成蹊高校在学中にセルジオ・メンデスに影響されたボサノバ・テイストの音楽性を持つバンド、マザーズ・ウォーリーを結成。1970年に第4回全日本ライトミュージックコンテストのフォーク部門で1位に輝く(Just After The Rain/ヴォーカルは杉山美奈子[3]、ギターは桜井敏夫、ベースは風早竜也、ドラムスは坂梨公彦、パーカッションは公森和郎)[4]。その後マザース・ウォーリーはNOVOとして日本で活動開始。メンバーは横倉裕(キーボード、ヴォーカル)、藤川あおい(ヴォーカル)、大木秀康(ベース)、清水薫(ドラムス)、安井克己(パーカッション)の5人。1973年にシングル「愛を育てる(村井邦彦・作曲、山上路夫・作詞)」でキングレコードからデビュー。この曲は元々旭化成のCM「愛を育てる(トワ・エ・モワ/旭化成)」[5]に使われていたもの。NOVOは2枚のシングル盤(4曲)を残して活動を停止。NOVO解散後は、アメリカでの事業展開を模索していた村井邦彦を頼って、単身で渡米し、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に入学。その後、セルジオやデイヴ・グルーシンに師事。

    1977年に笠井紀美子のアルバム『Tokyo Special』に楽曲を提供。

    1978年にデビュー・アルバム『Love Light』をデイヴ・グルーシンとラリー・ローゼンのプロデュースにより発表。オリジナルは日本のアルファレコードより発売。後に村井のアルファ・アメリカよりアメリカでも発売。タイトル曲の『Love Light』はパティ・オースティンと歌っている。『Love Light』はロサンゼルスだけで1週間に2万枚売れた[6]

    1980年に増尾好秋のアルバム『The Song is You And Me』に参加、楽曲を提供。1981年にグレッ